「これまで、めちゃくちゃ失礼なことを聞いていたかもしれない」。乳がんをテーマに20年以上、カメラを回し続けてきた報道記者の阿久津友紀さん。2019年、そのレンズがまさか自分自身に向けられる日が来るとは想像もしていませんでした。告げられたのは、5%未満という稀な「両側乳がん」。当事者になった瞬間、真っ先に浮かんだのは、かつて取材した患者たちへの「申し訳なさ」。撮る側から撮られる側へ。病床で初めて気づいた、カメラの前でさらけ出すことの本当の重みとは。 【写真】自分の手術姿も包み隠さずテレビカメラを回し続けた阿久津さんの覚悟のシーン(10枚目/全14枚)
■告知され頭に浮かんだ「患者への申し訳なさ」 ── 報道記者として、乳がんをテーマにしたドキュメンタリーを20年以上制作してきた阿久津さんが、2019年、「両側乳がん」の告知を受けました。カメラの向こう側で患者を見つめ続けてきたご自身が「当事者」になった瞬間、最初に浮かんだのはどんな思いでしたか。 阿久津さん:もしかして、これまで患者さんに申し訳ないことをしてきたんじゃないだろうか。告知を受けた瞬間、真っ先に浮かんだのはその思いでした。これまで、めちゃくちゃ失礼なことを聞いていたかもしれない、と。
── どうしてそう感じたのでしょう。 阿久津さん:ドキュメンタリーを作るには、真実に迫る必要があります。病状だけでなく、家族の受け止め方や治療費の明細まで見せてもらうこともありました。そこまで踏み込んで初めて、患者さんの家族関係から経済状況まで見えてきます。時にはご自身の病気で精一杯な方に、家族の本音や子どもへの影響など、触れていいのかと自問しながらギリギリの内容まで聞き続けてきました。 なかでも印象深かったのは、再発転移と向き合っていた女性を幼い娘さんが支えていたケースです。料理などの家事を手伝う娘さんの姿を撮らせてもらったのですが、「ママがいなくなっても、ちゃんとできるようにならなきゃね」と諭す母に、娘さんは涙をこらえながらうなずいて…。あの場面をカメラの前でさらけ出すことが、どれほど重い決断だったか。
阿久津さん:自分の中に「2人の私」がいる感覚でした。自分のがんを俯瞰で見る「制作者」としての自分と、病気に動揺している「患者」としての自分。でも、私自身が拒まなければ、ひとりのがん患者の実態をすべて撮ることができます。こんな機会は二度とない。「これはきっと誰かの役に立つはず」という思いが勝って、告知の場面から自分のスマートフォンのカメラを回し続けました。 いっぽうで、撮られる側になって初めて、映像は隠せないのだとも痛感しました。我慢して強気なことを言っても、心が泣いていれば泣き顔で映ってしまう。さらけ出すことへの迷いと、それでも記録を残そうとする気持ちの間で、葛藤がありました。
■家族にだけは「踏み込めなかった」理由 ── すべてを見せる覚悟を決めた一方で、どうしても踏み込めない領域もあったそうですね。 阿久津さん:家族です。これまで患者さんのご家族には踏み込んできたのに、自分の身内という一番デリケートな場所には踏み込めなかった。直接、夫の気持ちを聞けず、同行していた女性カメラマンが夫に話を聞いてくれました。夫は「悔しかったんだと思う」と、私の心中を代弁してくれました。これだけ取材して知識もあるのに、病気を防げなかった無念さを察してくれたんです。
ですが、実の妹や母がどう受け止めているのかについては、怖くてなかなかカメラを向けられず、妹の本音はドキュメンタリーの中では最後まで聞くことはできませんでした。 ── 当事者になったことで、伝えることの意味は変わりましたか。 阿久津さん:自分が取材される立場になって初めて、言葉が誤解されることの怖さ、意図とは違う形で受け取られてしまう不安を実感しました。だからこそ、あのとき、踏み込んだ質問に答えてくださった方々が、私にどれほど信頼を寄せ、言葉を託してくれていたかを痛感したんです。そのことに改めて気づき、取材当時以上に、感謝の気持ちが強くなりました。
… 「自分の経験が、誰かの力になれば」。そう願って人生をさらけ出すことの重みを、阿久津さんは身をもって知りました。皆さんは、誰かの勇気ある言葉に救われた経験はありますか? 取材・文:西尾英子 写真:阿久津友紀
西尾英子
もし自分が同じ立場だったら、その瞬間をカメラの前で見せられるだろうか、と。取材を受けてくれた方々は「自分の経験が次の誰かの力になれば」と、思いを込めて示してくれていた。彼女たちの強い覚悟に、自分自身ががんになるまで本当の意味で気づけていなかったんだと思います。
■「取材の知識が役立たない」眠れない夜の葛藤 ── それでも、踏み込んで話を聞き続けてきたのは、なぜですか? 阿久津さん:声なき声を伝えることで、誰かの状況が少しでも良くなればという思いで取材を続けてきました。実際、15年以上前に取材した「高濃度乳房」で見落とされたとされる乳がん女性のケースでは、番組をきっかけに、自治体がエコー検査に補助を出す動きも出ました。
当事者の困りごとや現実をきちんと伝えることで、社会が少しずつ動いていく。そういう変化を見てきたからこそ、家族のことや生活の細部まで踏み込んで聞くことも必要だと実感してきたんです。でも、自分が患者になった瞬間、その問いが患者本人にとって、どれほどの重さを伴うものだったかを痛感しました。 ── 告知を受けたときの状況を教えていただけますか。 阿久津さん:告知を受けた6年前の健康診断で左胸に怪しい影が見つかりました。毎年おなじみの「経過観察」だと思ったら「速やかに病院へ」と言われて。左はほぼ確定、右もがんかもしれない、と。同時に見つかるのは5%未満の珍しいケースで、ネットで検索をしても、自分の状況に当てはまる生存率などの統計データが出てきません。
取材を通じてがんの知識があるつもりでしたが、これから自分がどうなるのかまったく予測が立たない。疑いの段階(暫定診断)を越え、治療方針を相談する確定診断までの2週間、ほとんど眠れない夜が続きました。 ── ドキュメンタリー『おっぱい2つとってみた~46歳両側乳がん』では、告知の場面から手術後の傷跡まで、ご自身の闘病の過程がつぶさに記録されています。さらけ出すことに、ためらいはなかったのでしょうか。
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