プロボクシングのスーパーンタム級の4団体統一王者の井上尚弥(33、大橋)が2日、東京ドームで元3階級制覇王者の中谷潤人(28、M.T)を3-0判定で下して世界戦の連勝を28に伸ばした。ダウンシーンはなかったが、緊迫の12ラウンドの中で、井上は着実にポイントを稼ぎ、11ラウンドには強烈な右アッパーを決めて中谷は試合後に左目の眼窩底骨折の疑いで病院へ向かった。 【映像】井上vs中谷の緊迫のラウンド!
ボクシング史に刻まれる緊迫の12ラウンドの勝者はモンスターだった。ジャッジペーパーは2人が116-112、1人が115-113。 「ほっとしました」 リング上では「勝ちに徹する、今夜勝つのは僕、という闘いを実行した」と口にしたが、試合後会見の井上の第1声はそれだった。 33戦のキャリアのうち最も苦戦したと言っていい。左目の回りが少し変色。ダウンシーンを演出することはできなかった。 「年も33になって日本人のパウンド・フォー・パウンドにランキングされている下から上がってきた中谷選手と戦う。負けらない気持ちは今までの試合とはまったく違う、重圧だったり、そういう雰囲気が張り詰めて、5月2日まであったので、ひとまず勝ててホッとしている」 それが偽らざる気持ちだろう。 1年前の年間表彰式で自らが呼びかけて1年越しに実現した東京ドームでのファイト。挑戦者の中谷には失うものはなく、井上にはリスクしかない負けられない戦いを自らに課したのだ。 その「まったく違う重圧」は想像に難くない。 だが、井上のモンスターたるゆえんが試合後に判明していた。 中谷に左目の眼窩底骨折の疑いがあり、病院へ直行するため会見に出席できないことが主催者から一度アナウンスされたのだ。 11ラウンドだった。井上の右のアッパーがアゴを引いていた中谷の左目を破壊したのだ。中谷は左目をあけていられなくなり、左のガードを高くあげた。井上はさらに左のアッパーで追い詰めた。 「圧をかけてフェイント、集中して」 真吾トレーナーにそう声をかけられた最終ラウンドに井上は右のショートを叩き込み、まだ左目をカバーしたままの中谷のガードの死角を狙いアッパーを突き上げていくが、中谷は、足を使って必死に耐え、左フックで反撃を試みた。 残り1分になって井上はリング上にあるモニターの時計を見た。それほどの余裕があったが、中谷を仕留めきれなかった。それが「中谷潤人の人生のストーリーをぶつける」と言った中谷の覚悟の証でもあった。 会見中止のアナウンスが「病院へ行く前に5分間だけインタビューに応じます」に変わり、中谷は、気丈にも東京ドームのブルペンに設営された会見場に出てきた。 前がハッキリと見えないのか、目を細め、10ラウンドにバッティングで負った眉間の傷跡や、左頬の傷が痛々しかった。 「色んな事を想定して準備してきた。驚きは特になかったがさすがチャンピオン。上手さがあった。ボクシングを作っていくのが上手だった」 敗戦の弁に自負がのぞいた。 村野会長は「練習でやってきたことをある程度出せた。相手は名チャンピオン。簡単にすませてくれない。ただ各所、各所につけいる隙はあった」と無念さをにじませた。
映画「マトリックス」のように、まるで時間が止まっているかのように間一髪で互いのパンチを外し合った。8ラウンドには中谷が井上の右を交わし、井上が中谷のアッパーと打ち下ろしの2発を綺麗に外して、互いにニンマリと笑い、その高レベルの技術の攻防に会場から拍手が送られるシーンがあった。 「脳のスタミナが削られた。お互い打っては外して、打っては外しての技術戦を楽しんでいるなと。試合をしながらそんな感覚で楽しい試合でした」 好敵手との緊迫の12ラウンドを井上はむしろ楽しんでいたのである。 中谷との対戦を前に「チーム井上」は総力を結集して「勝ちに徹する」ためにやれることはすべてやった。4団体統一王者の驕りや油断などまったくなかった。それが井上陣営の結束力であり、井上の強さの理由だった。 前日のルールミーティングでは、中谷のバンテージの巻き方にルール違反の疑念を抱き、異議を申し立て、ルディ・ヘルナンデストレーナーを激怒させた。この日の試合前のバンテージチェックでは、拳のナックルパート部分を保護するための積層材(緩衝材)がルールに沿って作成されていることを確認した。 さらにこの日の試合直前にはJBCが立ち会いの元で行われるレフェリーインストラクションで「ラビットパンチ」や「ブレイク後の打撃」などの反則行為をしっかりとチェックしてもらうことを再度、要求、確認した。“ダーティファイト”を警戒したのだ。 潰せる不安材料はすべて潰した。 試合は、正々堂々とクリーンなファイトになった。逆に偶然のバッティングで出血したのは中谷の方だった。 井上は大健闘した勇敢な敗者にエールを送った。 「気持ちが強くその中に高度な技術も含まれていた。必ずスーパーバンタム級でチャンピオンになる選手。今日戦ってそう感じた」 年末のサウジの戦いで評価を下げ、ほとんどの予想が井上勝利とされる中で、中谷は敗れてなお、ボクサーとしての価値を高めた。 次なる戦いについて井上は「白紙」と言い、多くを語らなかった。 昨年はパウンド・フォー・パウンドランキング2位の王者としては異例の年間4試合を戦い、この東京ドーム決戦まで心身ともに緊張感が続いていた。「少し休ませて欲しい」は当然だろう。 ただリング上ではファンに「また皆さんが燃えるようなファイトをしていきたい」とも語り「また東京ドームに戻ってきたい」とも約束していた。RONSPOの別記事で詳しく紹介したが、この日、来場したサウジアラビアの総合娯楽庁のトゥルキ・アルシェイク長官が来年2月に名古屋のIGアリーナで「リヤドシーズン」日本大会を計画している。メインは、井上とWBC、WBA、WBO世界スーパーフライ級王者、ジェシー“バム”ロドリゲス(米国)とのビッグマッチで、ファイトマネーは50億円が用意されているという。 そしてその試合でスーパーバンタム級を卒業、次に日本人初となる5階級制覇への挑戦となるフェザー級の戦いが待っている。 もう午後11時を回っていた会見で筆者は井上にひとつ質問した。 「今日は伝説の1日になったのか?」 東京ドーム決戦は「THEDAY―やがて伝説と呼ばれる日」と命名されていた。 井上はふっと表情を緩めてこう返した。 「伝説の日になったかはわかりませんが、“やがて”なんでね。僕のボクシング人生はここがゴールではない。まだまだ伝説を作っていけるのではないかと思っている」 日本人最強挑戦者を蹴散らした2026年5月2日はモンスターにとって伝説の始まりに過ぎないのかもしれない。 (文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)
“ミニ”オーケストラによる「ディパーチャー」、そして世界的ギタリスト布袋寅泰の生演奏による「バトル・オブ・モンスター」に切り替わるW入場曲で登場した井上は、東京ドームを埋めた5万5000人のファンを緊張感という世界に酔わせた・ 1ラウンドから緊迫した。中谷は中間距離でのカウンター戦法。無駄に手を出さず必殺の左を打ち込むチャンスをただひたすらに不気味に待ち、井上の打ち終わりに合わせてくる。ゴング間際に中谷の狙いすました左フックが空を切ると会場がどよめきに包まれた。 井上も慎重だった。被弾リスクの少ない右のボディフックで、そのカウンターのタイミングを探りに出る。そして3ラウンドに中谷の目線を下に意識させておいて、ワンツーを放つも、中谷がサイドに素早くポジションチェンジをしてくるので完璧にはとらえきれない。それでも4ラウンドには上下に打ち分けたジャブが当たり、右ストレートがヒットした。ここまでのジャッジの採点は全員が井上を支持していた。 「中谷選手がそう出てくるなら今日の戦い方になる。想定内の入り方だった」 井上がそう振り返れば、真吾トレーナーも「中谷選手はパンチが当てられなかった。こちらが空間を支配していた」と、序盤戦を制したことを評価した。 だが、中谷もこの展開はプラン通りだった。 「井上選手は学ぶ力が強い。学ばせないためにああいった戦いになった」 井上に持っているパンチを序盤に見せてしまうとそのすべてを察知され、対応されて中盤以降に通用しなくなる。中谷の自分からほぼ仕掛けないカウンター戦法にはパンチを“隠す”狙いがあったのだ。 だが、その間にポイントを落とし続け、ゴーサインの出た8ラウンドからの反撃では遅すぎた。 それでも積極的にアクションを起こし、ワンツー、左ディから右フック、右の上下へのダブルなど、コンビネーションブローを軸に形勢逆転を狙った。井上にロープを背負わせるシーンも作った。 ジャッジの2人は8、9、10ラウンドを中谷につけ、1人も8、10ラウンドを中谷の10―9とした。 しかし、それもすべて12ラウンドをトータルで考え、勝利に何が一番近いかを考え尽くした井上の手の内にあった。 「前半からポイントを陣営と確認しながら戦っていた。戦う前から言っていた、今日は本当に勝つと。だから8、9、10は捨ててもいい。自分がポイントを取るというか、少しポイントを譲ってもいいかなと思って戦っていた」 あえてポイントを譲ったのだ。 それが10ラウンドの右フックのヒット、そして勝利を決定的にする11ラウンドの右アッパーへとつながる布石だった。 ジャッジがつけた4ポイント差は、小さいようで、実はとてつもなく大きな差だった。
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