全身赤と青のタイツに身を包み、両手を広げて「ヌーブラヤッホー!」と絶叫する——。2000年代のテレビ界に鮮烈なインパクトを残したお笑いコンビ・モエヤン。そのひとり、赤いタイツでお馴染みの池辺愛さん(45)は、現在2人の子供を育てる母親です。 【画像】慶応卒の才女だった…まるで別人の池辺さんを見る 実は池辺さん、国立大学の附属小学校に“お受験”で入学し、慶應義塾大学を卒業した才女。エリート街道を歩んできた彼女が、なぜあの衝撃的なパフォーマンスをするに至ったのでしょうか。「ヤッホー!」の原点を聞きました。(全2回の1回目/ つづき を読む) ◆◆◆
父は税理士、母は教員…ピアノとバレエを習っていた
――大阪出身の池辺さんは、国立大学の附属小・中・高校に進学し、慶應義塾大学を卒業された才女です。小さい頃はお嬢さまだったのでしょうか? 池辺愛さん(以下、池辺) お嬢さまかわかりませんが(笑)。父は税理士、母は教員、妹は大学でピアノ科を専攻していました。 両親は、やりたいことは何でもやらせてくれる方針でした。体操やピアノ、新体操にバレエと、興味を持ったものには何でも挑戦させてくれましたね。 お習字の習いごとを「辞めたい」と言ったときも、「もっと頑張りなさい」と引き止められることはなくて。「じゃあ、辞めとき」と、あっさり受け入れてくれるような親でした。 ――そうした環境の中、どんな経緯で芸人になったのでしょうか? 池辺 中学2年生で市民参加型のミュージカルに出たんですが、それがすごく楽しくて。「将来は人前に出る仕事に就きたい!」と思いました。 大学3年生のときに三宅裕司さん率いる劇団のオーディションを受けましたが、最終選考で落ちてしまって。1年間、研究生になった後に劇団員になって、そのまま大学卒業後は就職せずに舞台に出ていました。 その後、東京メッツというミュージカルグループに入団して、今の相方と出会いました。もともとお笑いが大好きだったので、彼女にシティボーイズのDVDを見せて勧誘して。モエヤンを結成することになりました。 ――芸人にチャレンジしてから、すぐに軌道に乗りましたか?
「ヌーブラヤッホー!」と叫んでいたワケ
池辺 全然ダメでしたね。最初のうちは劇団の先輩や社長たちにネタを見てもらったのですが、「君たち、すごい勢いあるね」と言われたあとに、「ただ、全然面白くないね」と(笑)。 吉本(興業)や松竹みたいにお笑いに強い事務所ではなかったので、ネタを見せる場所も限られていて。いくつもオーディションを受けましたが、全くうまくいきませんでした。 ――そこからどうして「ヌーブラヤッホー!」が生まれたのでしょうか? 池辺 あるとき、フジテレビの『爆笑ピンクカーペット』(編注:『爆笑レッドカーペット』の前身番組)のオーディションを受けることになったんです。けど、オーディション前日の夜になっても、全然いいネタが浮かばなくて。 2人であれこれ相談していたんですけど、そのとき、私がたまたま使っていたヌーブラを洗って乾かしていたんですね。ヌーブラって汗がついても、洗って乾かせばまた粘着力が復活するじゃないですか。 相方はヌーブラを使ったことがなかったみたいで、珍しかったのか、「何これ、めっちゃひっつくやん!」と壁に投げつけたんです。ヌーブラが一瞬ペタッと張り付いたあと、ポテッと床に落ちて。その光景がおかしくて、しばらく投げ続けたんです。 もう深夜のテンションで「ヤッホー、ヤッホッホー、ヌーブラヤッホー!」と。偶然、あのリズムが出てきて、その瞬間に「今のいいね!」となりました。 ――当時はオリエンタルラジオや藤崎マーケットなど、リズムネタが流行っていた時代でしたね。 池辺 そうですね。私たちもリズムネタは入れようと話していたところでした。でも、流石にネタ見せで披露する予定はなかったんです。 当日、現場に行って1分くらいのネタ見せをしましたが、1本目はウケない。2本目、3本目、4本目も全然ダメで、プロデューサーの方に「もういいですか?」と言われてしまって。そこで「最後にもう一個だけ見てください!」と叫んでやってみたのが、あの「ヌーブラヤッホー!」でした。 プロデューサーが「それおもろいやん。それやったらうちの番組でやってほしいわ」と。自分たちも「あ、これなんや?」とは思ったんですけど(笑)。28〜29歳くらいのときに、よくわからないまま地上波に出ることになりました。
テレビをつけた彼氏がびっくり仰天?
池辺 あんまりなかったですね。全身タイツを着ている時点で、そういう対象から外れるというか。恋愛に発展するようなお誘いはなかったです。 街で知らない人に「ヤッホー!」って声を掛けられることはありましたけど、当時は彼氏もいましたし。 ――彼氏さん、あのネタにはどんな反応でしたか? 池辺 あのネタのことは伝えていなかったので、最初はびっくりしたと思います。テレビをつけたら突然私が「ヤッホー! ヤッホー!」と叫んでいるわけですから(笑)。 でも、いろいろ助言はもらいましたよ。ちょっとハモリがズレてるとか、ちゃんと手が伸びてないとか。 ――演出の方で助言があったんですね(笑)。ブレイク時にメンタルを崩してしまう方も多いですが、気持ちが落ちることはありましたか? 池辺 それはなかったんですけど、深夜のラジオ明けに取材やテレビの収録が続いて、翌日も早朝からみたいなスケジュールが続いたときは、流石に大変でしたね。 家に帰る時間もなかったので、フジテレビの廊下のソファーで寝ていたこともありました。
まさかの「メーカーNG」でヌーブラと叫べず…
――その後、下着メーカーから苦情が届き、なんと「ヌーブラヤッホー!」が使えなくなったとか……。 池辺 そうなんですよ。その後もいっぱい「ヌーブラヤッホー!」で仕事が決まっていたので、まさに青天の霹靂でした。 翌週の月曜日に(使用自粛の)公表をする予定だったのですが、その直前に福岡での営業が入っていて。お客さんも「ヌーブラヤッホーがやってくるぞ!」と楽しみにしてくれていたんです。 「どうするの?」と窮地に立たされた結果、なんとか近いフレーズにしようと考えて。急遽、豚のアップリケを胸元に縫い付けて、「ヌー豚ヤッホー!」と言いながら舞台に出ました。 もう、お客さん全員がキョトン? ですよね(笑)。私たちもそこで一切説明できないままバイバイするっていう、幻の営業がありました。 ヌーブラ芸を封印、19歳上の夫と結婚、“人生に絶望した”2度の流産…全身タイツの女芸人・モエヤン池辺愛(45)が明かした「壮絶な半生」 へ続く
松永 怜
有名美容タレントが「その素材、透けるわよ」
――テレビに出てから、お仕事が急激に増えた? 池辺 そうですね。『レッドカーペット』『笑っていいとも!』『エンタの神様』と、ほぼ同時期に色んな番組に出演させていただいて。当時は今以上に女性芸人が少なくて珍しかったですし、リズムネタ芸人という枠で呼んでいただくことも多かったです。 楽屋の壁に向かって稽古をしていたら、フジモン(藤本敏史)さんが後ろを通って「思いっきりスベったらいいねん!」と絡んでくださって。色々ありましたね(笑)。 ――そもそもなぜ全身タイツだったんでしょうか? 池辺 このネタの主役はヌーブラなので、それを目立たせるために全身タイツにしていました。よく「恥ずかしくなかった?」と聞かれるんですが、それは全然なかったです。 IKKOさんに夏のロケでお会いしたときには「その素材透けるし、すごい紫外線届いてるわよ」と言われました。 ――ご家族の反応はいかがでしたか? 池辺 すごく喜んでました。『エンタの神様』に初めて出ると決まったときは、両親がわざわざ上京してきて、みんなとリアルタイムで一緒に観ようと言われたんです。全国放送だから大阪でも観られるんですけど……。 相方も家族ぐるみの付き合いだったので同席して、渋谷のスポーツバーに行って。他のお客さんもいるのに『エンタの神様』にモニターのチャンネルを変えてもらいました。 父が他のお客さんたちに「うちの娘が出るんです!」と宣言してしまっていて。『エンタの神様』は編集の都合でネタの放送日が急に変わることもあるので、「もし今日映らなかったら気まずい!」とドキドキしながら見ていました。番組の最後の方でようやく映って……。みんな本当に喜んでくれましたね。 ――お父さんの愛を感じます。 池辺 ありがたいですね。実家に電話を掛けたとき、父の第一声は「もしもし」ではなく「ヌーブラヤッホー!」でしたから。 ――テレビでの露出が増えて、男性から声を掛けられることはありましたか?
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