京都大学ラグビー部主将の大鶴誠(22)=医学部医学科4年=が23歳以下(U23)日本代表に選ばれ、4月のオーストラリア遠征で「桜の戦士」の一員としてプレーした。全国有数の進学校・灘高校(神戸市)出身で高校時代は大きな舞台とは無縁だったが、愚直に強みを磨き代表の座をつかみ取った。強豪校のエリートが居並ぶ中、スポーツ推薦制度がない京大からの選出は異例で74年ぶりの快挙。幼い頃からの夢だった日本代表と医師-。さらなる高みへ、文武の極限に挑み続ける。 【写真】日本代表ジャージー姿の大鶴選手 ■父・兄も京大医学部&ラグビー経験者 幼少期から楕円(だえん)球は身近な存在だったが、歩んできた経歴はいわゆるエリート街道とは一線を画す。 兵庫県西宮市出身で父、兄も経験者というラグビー一家。1歳の誕生日にボールとジャージーを贈られたといい、物心つく前に兄とともに地元のラグビースクール(RS)に通った。困っている人の役に立てる仕事への憧れと、医師として働く父の影響を受け、小学校の卒業文集には「将来の夢はラグビー日本代表と医師」と書き記した。 父の仕事の関係で、京都市左京区で過ごした時期も。京都北RSに籍を置き「鴨川の河川敷で父や兄とよくパスキャッチの練習をした」。兄が灘中に通うことに決まり、小学4年で再び兵庫に移った。兄の背中を追うように灘中へ進学する一方、芦屋RSでは中学3年時に全国大会で7位と結果も残した。スクールのメンバーの一部は強豪私学に進んだが、自身が進学した当時の灘高のラグビー部は慢性的に部員不足。公式戦に必要な15人が集まらず、他校との合同チームでの出場を余儀なくされるという「花園」には程遠い日々を送った。 華やかな場所への憧れや活躍するかつての仲間たちをうらやむ気持ちもあったが、軸はぶれなかった。「自分もかつて彼らと同じ環境でプレーした。スキルアップすれば勝負できる自信はあった」とウエートトレーニングと個人技を強化。ユーチューブでトップ選手らの動画を視聴し、自らのプレーに取り入れるなど創意工夫を重ねた。
全国大会の県予選を待たず、6月の定期戦で引退。国体に向け県選抜のメンバーへの誘いもあったが、「競技を続け浪人をすることになれば、ラグビー人生全体のタイムラインで考えるとマイナス」と広い視野で冷静に検討した上で固辞した。夏休みから父や兄と同じ京大医学部に目標を定めて受験勉強にエネルギーを集中した。 ■京大に「全く受かる成績じゃなかった」 合格難易度は日本最高峰。秀才が集う灘高でも上位20、30人以内に入ることが求められるが、「校内順位は良い時で60位、普段は中間の100位前後。全く受かる成績ではなかった」。だが、ラグビーで培った体力や集中力には自信がある。「必死にやれば可能性はゼロではない」と、一足先に京大で学んでいた兄に勉強法を教わり机に向かった。猛烈な努力で一気に合格圏へと駆け上がり、本番でも実力を発揮。「後で成績開示したらほぼ最下位だった」と苦笑するが、当初の計画通り現役で滑り込んだ。 憧れの兄がいるラグビー部に入部し、同じチームでプレーする楽しさをかみしめつつ、置かれた環境に満足せずさらに高いレベルを求めて自ら行動を起こした。「チームの勝利には自分自身の成長が欠かせない」と昨春には単身でニュージーランドへラグビー留学を敢行。一方、勉学も手を抜かず、秋季リーグの公式戦翌日の試験に徹夜で臨むことも。ラグビー選手兼医師の卵としてハードな日々を送っていた。 ■「無名選手」から半年で一変 そんな環境がこの半年で一変した。 「年始には想像できなかった」。ラグビー界でほぼ無名の選手が一躍表舞台に躍り出るきっかけを与えたのは、日本協会主宰の「JAPAN TALENT SQUAD(JTS、ジャパン・タレント・スコッド)プログラム」だ。将来の日本代表の育成・強化を目的に2024年から始まった取り組みだが、今回は新たな才能の発掘のため、実績のある選手に加え、一般公募での募集という形で門戸を広げた。
京大では関西大学リーグの2部に当たるBリーグが主戦場。注目度や露出は高くなく、才能が日の目を見る可能性は少ない状況だった。だが、昨年末にJTSの公募の存在を知り、このチャンスに挑んだ。 トップレベルの選手たちはどんな環境でどんな練習をしているのだろう。「ボール拾いでも何でもいいから見てみたかった」と参加を熱望した。身長176センチ、体重90キロでポジションは司令塔のスタンドオフ。提出した自己PR動画では、武器とするステップやスピード、戦術理解のほか、ハングリー精神と成長意欲も強調した。 締め切りの数日後、選考通過の吉報が届いた。全国から約30人の応募があり、選ばれたのはわずか3人。驚きと喜びが交錯し「まさか呼んでもらえると思っていなかったのでびっくりした」。その後23歳以下日本代表に正式に選出され、オーストラリア遠征にも参加したのは大鶴だけだった。 ■桜のジャージーで君が代を 2〜3月に計4回の合宿に参加し、4月の遠征では地元のクラブチーム・ストックマン戦に途中出場。初めて桜のジャージーに袖を通し、日の丸を背負って戦った。「あのジャージーを着て、皆で並んで肩を組んで『君が代』を歌った時は、こみ上げてくるものがあった。『本当に代表になったんだな』と」。試合については「次の自分がやるべき仕事を探してずっと走ることで精いっぱいで、一つ一つのプレーはあまり記憶にない」と振り返るが、自身のラグビー人生に大きく、確かな一歩を刻んだ。 Bリーグ所属の自身にとって、同世代のトップ選手らと過ごした時間は大きな刺激になった。「フィジカルだけでなくプレーやコミュニケーションのスピードが速く、付いていくだけでも大変。プレッシャーも強く、一瞬でも判断を迷うとすぐコンタクトが起きてしまう」とレベルの差を実感。それでも、高いレベルに身を置いたからこそ、今後取り組むべき課題も明瞭になった。「プレッシャーを受けながらでも通用するスキルをさらに上げる必要性がある」
大学卒業後の進路や将来的なリーグワンでのプレーの可能性などは模索中。ただ、JTSを経てトップチームから練習参加のオファーが舞い込むなど視界は良好だ。 帰国後は、代表合宿で他校の選手から学んだ練習方法を部内でも早速取り入れた。主将として部を率いて臨む秋季リーグの時期に病院実習が始まるなど、多忙な日々は続くが、貪欲に二兎(にと)を追うつもりだ。「今後は京大のシーズンに集中する。主将として責任を持って先頭に立ち、目標のAリーグ(1部)昇格を達成する」と力強く語った。 <京大ラグビー部> 1910年に旧制三高蹴球部として創部。国内では慶大に次ぐ歴史を持つ。27年度から全国3連覇を果たし、大学選手権に5度の出場。52年に英オックスフォード大戦に出場した柴垣復生氏など日本代表選手も輩出している。OBにノーベル化学賞を受賞した野依良治氏や前駐中国大使の垂秀夫氏、日本ラグビー協会元副会長の和田文男氏など。
関連記事









Hao112 ニュース



